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平成27年1月3日午後6時半より新年互礼会を行います。

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人間禅四国禅会第11回摂心会 日課表

人間禅四国禅会第11回摂心会 日課表
令和元年11月27日(水)結制~12月1日(日)円了
結制日 11/27(水) 11/28(木),11/29(金) 11/30(土) 円了日 12/1(日)
集合 午後5:00 起床 午前5:00 起床 午前5:00 夜食休憩 参禅後
老師お迎え 6:00 静坐 5:30 静坐 5:30 静坐 1:00
夕食 6:30 参禅 6:30 参禅 6:30 真向法 3:00
結制茶礼 7:30 朝食 7:30 朝食 7:30 静坐 3:30
参禅 9:00 ラジオ体操 8:10 ラジオ体操 8:10 参禅 5:00
開枕 10:00 作務 8:20 作務 8:20 円了茶礼 参禅後
作務止め 9:30 作務止め 9:30 解散   6:30
静坐 10:00 静坐 10:00
参禅 11:30 参禅 11:30
昼食 午後 12:15 昼食 午後12:15
作務 2:00 作務 2:00
提唱 作務止め 3:30 作務止め 3:30
11月28日 竜穏庵老師 静坐 4:00 法話 4:00
禅海一瀾 抄 夕食 6:00 法話終了 5:00
(二十一)一以貫之 講本下読み 7:00 夕食 6:00
11月29日 竜穏庵老師 提唱 7:30 静坐 7:00
禅海一瀾 抄 講後参禅 参禅 9:30
(二十二)君子慎独 独真向法    静坐  22:00
  開枕    10:00    参禅  23:30

※日課は都合により変更する時があります
※食事は、準備出来次第可
※入浴は随時許可します
※法話は竜穏庵老師による「茶味」について
 です。

自未得度先度他(じみとくどせんどた)

自未得度先度他(じみとくどせんどた)ー人が幸せになることをまずはやるー
「自未得度先度他」とは、自分は渡らずに、他の人を先に渡すこと。道元禅師が『正法眼蔵』の中で述べていることです。
 渡すのは、向こう岸、つまり、彼岸です。船に人を乗せ、自分は一生懸命に漕ぎます。漕いで向こう岸に着くことができたら、船に乗せてきた人たちを下ろします。そして、自分はまたこちらの岸に戻り、待つ人たちを乗せて川を渡るのです。自らは、ついに川を渡ることはありません。自分より人、人が幸せになることをまずはやるのです。
 自未得度先度他の心を起こすことを「発心」といいます。発心した人は、さらに多くの人たちに自未得度先度他の心を起こさせることが求められます。
 渡った先にあるのは、幸せだと考えることもできます。迷いのない世界だと考えていいかもしれません。自分だけでなく、迷いのない世界へと導くことができる人がひとりでも多く生まれるように願ってサポートを続けるのです。

歩歩是道場(ほほこれどうじょう)

ある修行僧が、騒がしい街中では修行ができないと、どこか静かで穏やかな場所にある修行道場を探して歩いていました。
そこに、郊外から街中に入ろうとする維摩居士が歩いて来ました。修行僧は尋ねました。
「どちらからいらしたのですか?」
「私は今、修行道場から来たところです。」
「えっ! その道場はどこにあるのですか?」
その問いに、維摩居士が答えたのが、「直心是道場」です。
一日の一歩一歩が、そのまま道場であるという教えです。
今いる場所をどのように活かすかは、環境やそこにいる人によるものではありません。たとえどんな場所であっても、活かすことができるのです。大本山だけが道場ではありません。道を歩く日常生活そのものさえも、修行道場にしてしまうことができるのです。
どんな場所でも学びの場です。
すべては、自分自身の受け止め方次第なのです。

初音

初音
鶯は冬の間、只「チッ、チッ」と鳴くばかりだが、時節因縁がくると突如に「ホーホケキョ」と鳴きます。これには誰もが驚く。しかし、一番驚いたのは当の鶯にちがいない。これは、決して自分で鳴くのではない。云わば、宇宙の命がほとばしるのだ。
そう云えば、お釈迦様は悟りをひらかれた時、「天上天下唯我独尊」(尊い尊い自分が宇宙に満ち満ちている!)と叫ばれたというが、あれは、お釈迦様の初音だったんだなアー。

   天上天下唯我独尊初音哉

(注:笹鳴きを笹子の声というのは誤りで、冬の鶯はみな成鳥です。) 井本光蓮

合掌の精神

人間禅四国道場の先輩である井原澄徹老居士の著書『河童毒言』より

「合掌の精神」
耕雲庵老大使は「合掌」を次の3点に要約されています。
真理に合掌する   (正しく 法)
自己に合掌する   (楽しく 仏)
おたがいに合掌する (仲よく 僧)
まず、「真理に合掌する」から多少、蛇足を加えさせていただきます。「真理」とは、天地に先立って生じているもので、人間が創造したものではないことはご承知でしょう。日月星辰の運行、春夏秋冬の変化、生老病死の事実。花が咲き、鳥が鳴くのも「真理」のあらわれです。是非善悪は人間中心の規則で、そのまま「正しい」といえないのは、戦争一つ例に考えれば、明らかです。環境汚染、公害などの問題も同じでしょう。何が正しいか、何が真理なのかを見極めない盲動は、人類破滅の方向に突進する危険性を多分にもっています。「赤信号、みんなで渡れば」式ではなく、バカ正直と笑われようと、立ち止まる勇気が必要だ、と思います。政治・経済ばかりでなく、身近な家庭・職場・育児などの面でも「金剛王宝剣」をふるう大勇猛心が大事でしょう。それが「真理に合掌する」第一歩だ、と思います。
次に、「自己に合掌する」。中国、宋時代の大詩人・蘇東摑が、合掌して立つ観音様に疑問を抱き、質問しました。「観音様は、いったい、どなたに合掌して?」師の仏印和尚はただひとこと。「ただ、観音の御名を念ずるのみ」。観音様は観音様に合掌するのです。自己に合掌するのは、この精神なのです。「主人公」に合掌するのです。「主人公よ!」と自分で自分に呼びかけ、「煋々着!(他にまどわされるよう、しっかり目をさませておれよ)」と自省自戒を繰り返された師彦禅師の故事を思い出してください。自分の弱気や怠け心も「他」です。だれもが本来持っている「天上天下唯我独尊」の仏性に合掌するのです。「他に求むるは、自らに求むるに如かず」「天は、自ら救う者を救う」そんな言葉も思い出されます。自分を本当に愛するのなら、自分に合掌して、自己を最大に生かすべく最善の努力をすべきです。それこそが本当の「楽しさ」でありたいものです。
三つ目の「おたがいに合掌する」は、上記二つを考えていただければ、おわかりでしょう。おたがいの等しくそなわっている「仏性」に合掌しあうのです。おたがいの人権を尊重しあうことなのです。「僧」とは、お寺のお坊さんだけをさすのではなく、ここでは「和合衆」と訳され、植物・鉱物・動物も含めた「仲間」が適切だと思います。
以上、「合掌の精神」の概略を述べさせていただきました。合掌