竜穏庵老師 平成31年年頭垂示

平成31年1月5日(土)18:30~ 四国禅会 新年互礼会 竜穏庵老師垂示

明けましておめでとうございます。年頭にあたり少しお話をさせていただきます。
正月一日の良寛和尚の手紙を読んでみます。
「是はあたりの人に候。夫は他国へ穴ほりに行きしが、如何致候やら、去る冬は帰へらず、こどもを多くもち候得ども、まだ十より下なり。此春は村々を乞食して其日を送り候。何ぞあたへて渡世の助にもいたせんとおもへども、貧窮の僧なればいたしかたもなし。なになりと少々此者に御あたいくださるべく候。正月一日」
これは良寛和尚を最後までお世話をした豪農の親友、解良叔門という人に当てた手紙です。正月の手紙ですけれども、おめでとうとかいう挨拶はなしに、いきなり夫は他国へ穴掘りにでかけたけれども、いつもなら正月に帰ってくるのに帰ってこなかった。年は十より下の子どもが多くいるが働きはない。この春は村々を乞食して送っている。こういう地獄の底から出てきたような女の乞食ですね。何にも与えるものがないから、この手紙を持って解良叔門の所へ行きなさい。解良家は豪農ですからどういう扱いをしたか分かりませんが、この女の人は地獄の底から良寛の所へきて仏様に会ったようになったんですね。この手紙が今も解良家に残っています。言いたいことは、今拝読しました立教の主旨の中に第一の自利利他の願臨を廻らして本当の人生を味わいつつ、世界楽土を建設するのが目的なんだ。世界楽土というのは遥か彼方にあって手の届くようなものではないと思いがちなんですが、こういうふうにこの女の乞食のように地獄から世界楽土のど真ん中に出てきた、そういうふうな喜びがあったと思います。実際には自分らの脚下から世界楽土への道が続いているということを言いたかったんです。
この時分には皆貧しいものですから、こういう手紙もあります。
「寒天の節、如何お暮し候や野僧無事に過ごしおり候。もめん衣なくいたし不自由に候。もめん二反墨染めになし遣わさるべく候。ひとへに願入候。十月五日」
これは木綿の衣なくして不自由にしているからどうぞ墨染めにしてお送りください。この書簡は良寛の和歌と関係がありそうだと相馬御風氏がいっています。
「神無月の此、蓑一つ着たる人の門に立ちて物乞ひければ、古衣ぬぎすててとらせぬ。その夜あらしのいと寒う吹きたりければ、いづこにか旅寝しるらぬばたまの夜半のあらしのうたて寒きに」
という良寛の歌にこれがついておるということです。裸の上に蓑だけ来て物乞いにきた男がいて、良寛はその場で自分の衣を脱いでその者に与えた。そのために寒く不自由になってこの衣の無心の手紙を書いたんということでしょう。十月五日は神無月、今の十一月ですね。
 もうひとつ読んでおきましょう。解良叔門の息子だと思いますが、解良栄重という人が良寛禅師奇話というものを書き残しておりまして、その中に載っている実話です。
「盗あり。国上の草庵に入る。物の盗み去るべきなし。師の臥蓐をひきて、密かに奪んとす。師寝て知らざるもの、如くし、自ら身を転じ、其ひくにまかせ盗み去らしむ。」
盗人が入った、良寛のいた国上山の五合庵に。庵の中には何にも盗むものはない。良寛和尚の寝ている布団を引っ張って、寝ているのを起こさずに布団だけを奪おうとしている。良寛は眠っているふりをして、ごろりと身を転じて布団を盗ましてやった。この時分は皆貧しいものですから良寛和尚は自分の出来ることを全力でやるわけですね。それが自利利他の願臨を廻らすということになると思います。我々の場合は、乞食が訪ねてくることはなくなりましたけれども、道場へ来る方というのは心に悩みのある人です。維摩居士が、「衆生病むがゆえに我病む」衆生が病んでる間はこの病気は治らないといわれたそうです。そういう心が病んでいる人が来るわけです。そういう人に対して何をしたらいいのかいうことを、工夫してほしいと思います。さしあたりは数息観を説くということ、実際に数息観のありがたみが身に染みて分かっている者であればそれができるはずです。もう少し進んだ人には参禅を進める。本当に参禅してよかったという喜びを知っている者ならそれができるはずです。
この修行は必ずしも人数によるものではありませんが、支部になるためにはもう少し人が欲しい。そういうことを心がけてほしい。入門した人が一人も来ないということは、反省しなければなりません。今年はしっかりやりましょう。はい。