大丈夫

 「大丈夫(だいじょうぶ)」とは、多くの人が、日常的によく使う言葉です。「心配しなくてもいいよ、大丈夫」「安心していいよ、大丈夫」などと一般的によく使われます。
 「丈」は、長さの単位、「夫」は、男の人を意味します。中国では、もともと成人男子のことを「丈夫」といいました。それに「大」がつくわけですから、「大丈夫」は「立派な男性」を意味していました。それが日本に伝わり、少しずつ変化して、私たちが今、日常使っているような意味になったのです。本来は男性を指す言葉でしたが、「心配ない」「安心していい」という意味では、男性に限らず女性にも使っていますね。
 仏教は、修行して仏になる教えではありません、本来仏である自分に気づく教えです。本来仏である自己が、仏として修行するのです。仏として毎日を生きるのです。「大丈夫」たる本来の自己が、考え、語り、行動するのです。いつも大丈夫である自分、ぶれない自分になるためには毎日の在り方が大切です。正しく考え、大切な日々を一生懸命生きる自分でありたいものです。

少欲知足(しょうよくちそく)

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少欲知足 ~すでに足りていることを知る~
「少欲」と「知足」というのは、お釈迦様の最後の説法をまとめたお経「仏垂般涅槃略説教誡経(ぶっしはつねはんりゃくせっきょうかいきょう)」に出てきます。
 少欲も知足も、お釈迦様が最後の説法で、息を引き取る直前に弟子たちに示した教えで、「すでに足りていることを知りなさい」という意味です。たくさんの教えがある仏教ですが、お釈迦様の遺言であるこの言葉は、深く重いものです。
 お経に出てくるお釈迦様の言葉を現代の言葉に直してみると、以下のようになります。
「修行僧たちよ、知るべきです。欲の多い人は、多くの利益を求めるために、苦しみもまた多いのです。一方、欲の少ない人は、求めることもなく欲することもないので、欲の多い人のような憂いはありません。修行者たちよ。もし多くの苦しみや悩みから脱したいと願うのなら、足ることを知りなさい。知足の教えを知ることは、富楽安穏(ふらくあんのん)の場所に住むことことなのです。」

人生を整える座禅の効用

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土曜日の夜と日曜日朝は道場にて座禅をしています。
私にとって道場で週末に座る座禅は、日常生活で心身に貯まった荒みを洗い流し、リセットした心身でまた月曜日からの仕事に元気に取り組める大切なものです。少し座禅について考えてみます。
座禅をするということは身体・呼吸・意識を整え、心の安定をはかる具体的な取り組みです。
背筋を伸ばした正しい姿勢を保ち、吐く息、吸う息に意識を向けていると、心は水面のように澄み渡ります。その澄み渡った心で物事をありのままにとらえる時、こだわりやとらわれを離れた真の自由が得られます。
座禅は2500年以上にわたり行われ続けたきた東洋の知恵の道です。心を静め、磨き、本当の自分と人生を見出すメソッドです。
体を整え、息を整え、心を整えます。
人が整うと外が整います。外が整うと人生が整います。

白隠禅師の健康法

Bodhidarma

白隠禅師は江戸中期に静岡に生まれ、我々の行っている臨済宗中興の祖といわれ、「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」とまで讃えられた高層です。その白隠禅師が体調を崩したときに立ち直った健康法が「軟酥(なんそ)の法」という内観法です。

軟酥(なんそ)の法(現代訳)
まず、色 美しく香り高い仙人の神薬を、種々練り混ぜて鴨の卵の大きさに丸めた丸薬が、頭の上に載せてあると想像する。その軟酥の卵は、香り絶妙にして、しばらく頭上に載せている間に次第に体温で溶けてやわらかくなり、少しづつ流れ始め、タラリタラリと下り始めると意識し始める。
その神薬の流れは、頭骸骨をも浸み抜けて脳髄の隅々まで潤おし、耳、目、鼻、口の内外を伝わり、浸々として首から両肩、両腕、両掌、十指のすべてまで流れ下り、両乳、両胸をしずかに潤おして流れ、肺、心臓、肝臓、胃、腸その他あらゆる内臓諸器官を浸し潤おして流れ、また背骨、肋骨、尾骨をも潤おし、オリーブオイルが浸みわたるように、全身に溶け込んで、ユルリユルリと下へ下へと流れ下ることをハッキリとイメージするのである。
このようにして、この霊妙な仙人の神薬は溶け下り、身体の全てを潤おし流れ、両股、両足を伝い、足の裏にまで流れ下って止むのである。
修行者は、何回もこの観法をなすがよい。
あの鴨の卵の大きさに固められた軟酥の妙薬が溶けて、浸々として、身体を潤おし流れるところの流れが、足元より溜まり、積もり湛たえて、腰まで及び、下半身を温め蒸すことは、ちょうど世の名医の特効秘薬をあつめて、湯で煎じ、桶の中にその煎湯を満々と満たして臍の下まで身体を浸し、温めるようなものである。
この「軟酥の法」を観ずるときは、三界は唯心の所現の法則に従い、鼻は妙香を嗅ぎ、身体はにわかに妙風につつまれ、身心に調和が甦り、精気が充満して、二、三十代よりも元気旺盛にして、壮気はなはだすぐれるものがあり、このとき、積年の苦悩、煩悶は融解消失し、胃腸内臓諸器官を調和させ、内分泌機能も旺盛になり、皮肌はツヤツヤと光沢を生じてくるのである。
もし秘法を怠らずつとめ修してゆくならば、どんな難病でもなおらぬということはないのである。また、いかなる高徳をも積むことができ、いかなる道をもおさめることができるのである。ただし、その効果のはやい、おそいは、その修行者の熱心さと、修する態度の真剣さよるものはもちろんである。

軟酥の法 原文
譬(たと)へば色香清浄の軟酥鴨卵(おうらん)の大さの如くなる者、頂上に頓在せんに、其気味微妙にして、遍(あまね)く頭顱(ずろ)の間にうるおし、浸々として潤下し来て、両肩及び双臂(そうひ)、両乳胸膈の間、肺肝腸胃、脊梁(せきりょう)臀(でん)骨(こつ)、次第に沾注(てんちゅう)し将(すなわ)ち去る。此時に当て胸中の五積(ごしゃく)六聚(ろくしゅう)、疝痾(せんあ)塊痛(かいつう)、心に随て降下すること、水の下につくが如く、歴々として、声あり。遍身を周流し、双脚を温潤し、足心に至て即ち止む。
行者再び応(ま)さに此(この)観(かん)を成すべし。彼の浸々として潤下する所の余流、積り湛へて暖め擴(ひたす)すこと、恰(あたか)も世の良医の種々妙香の薬物を集め、これを煎湯(せんとう)して浴盤(よくばん)の中に盛り湛へて、我が臍輪(さいりん)已下を漬け擴(ひた)すが如し。此観を成すとき、唯心(ゆいしん)所(しょ)現(げん)の故に、鼻根乍(たちま)ち希有の香気を聞き、身根俄(にわか)に妙好の瑶(なん)触(しょく)を受く。身心調適なること二三十歳の時には遥かに勝れり。此時に当て積聚(せきしゅう)を消融し、腸胃を調和し、覚へず肌(き)膚(ふ)光沢を生ず。若(もし)其(それ)勤(つとめ)て怠(おこた)らずんば、何れの病か治せざらむ、何れの徳かつまざらむ、何れの仙(せん)か成ぜざる、何れの道か成ぜざる。其功(こう)験の遅速は、行人の進修の精麁(せいそ)に依るらくのみ。 ・・・・

中岡慎太郎のことば①

「君子小人人にあり。家にあらず」
立派な人間になるか小さな人間になるかは、家柄ではなく、その人の心がけ次第であるということです。

 慎太郎は、180年前、高知県安芸郡北川村に生まれ、武市半平太の土佐勤皇党で志士活動を展開した後、脱藩して長州藩に亡命し、各地の志士たちの重要な連絡役となり、薩長同盟成立への大きな働きをした人物です。
 1867年11月15日、京都近江屋にて坂本龍馬とともに襲われ、重症を負い、亡くなるまでの二日間、襲われた様子を伝えたことでも有名です。
 幕末、30年足らずの人生を駆け抜けた中岡慎太郎。その写真を拝見すると、日本中が大きなうねりの中にある時代において、自己の命や家や藩にことに執着せず、日本の未来を考え、命がけで真剣に生きた者の、厳しくも若者らしい純粋で志あふれる面構えをしています。
 座禅では今を真剣に生ききる鍛練をしています。土佐が生んだ英雄の思いに負けないようにありたいものです。