円相について

◎円相について
新しいお茶人から、今度の茶会に掛けようと思う と 墨跡の解を聞かれました。拝見すると、円相を画いて讃語に、「人々這ケ出不得」とあり、筆者は大徳寺の宙宝和尚です。
円相の意味は、讃語によって変わってきます。
「人々這箇出不得」とか「天下の衲僧跳不出」とかある場合は、縦に無始劫来より尽未来際まで、横には大宇宙の隅から隅まで、絶対の真理(如是の法)が充ち満ちているのだから、この円相から外に飛び出すことは絶対に不可能だという意味です。人間だけでなく山川草木禽獣虫魚に至るまで、一切の存在がこのままここで生き、ここで死んでゆけばそれでよいのです。悟っていようが迷っていようが、そんなことは一切関係ありません。
『法華経』には「一切治生産業みな実相と相違背せず」とありますし、道歌にも「雲晴れてのちの光と思うなよ元より空にありあけの月」とあります。
安心して生き、安心して死んでゆきましょう。
それでも、自分自身に「うん、そうか」と納得できぬうちは、どうしても安心出来ぬという人のために、「坐禅」があります。どうぞあなたのお越しをお待ちしております。
竜穏庵井本光蓮 合掌

大丈夫

 「大丈夫(だいじょうぶ)」とは、多くの人が、日常的によく使う言葉です。「心配しなくてもいいよ、大丈夫」「安心していいよ、大丈夫」などと一般的によく使われます。
 「丈」は、長さの単位、「夫」は、男の人を意味します。中国では、もともと成人男子のことを「丈夫」といいました。それに「大」がつくわけですから、「大丈夫」は「立派な男性」を意味していました。それが日本に伝わり、少しずつ変化して、私たちが今、日常使っているような意味になったのです。本来は男性を指す言葉でしたが、「心配ない」「安心していい」という意味では、男性に限らず女性にも使っていますね。
 仏教は、修行して仏になる教えではありません、本来仏である自分に気づく教えです。本来仏である自己が、仏として修行するのです。仏として毎日を生きるのです。「大丈夫」たる本来の自己が、考え、語り、行動するのです。いつも大丈夫である自分、ぶれない自分になるためには毎日の在り方が大切です。正しく考え、大切な日々を一生懸命生きる自分でありたいものです。

少欲知足(しょうよくちそく)

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少欲知足 ~すでに足りていることを知る~
「少欲」と「知足」というのは、お釈迦様の最後の説法をまとめたお経「仏垂般涅槃略説教誡経(ぶっしはつねはんりゃくせっきょうかいきょう)」に出てきます。
 少欲も知足も、お釈迦様が最後の説法で、息を引き取る直前に弟子たちに示した教えで、「すでに足りていることを知りなさい」という意味です。たくさんの教えがある仏教ですが、お釈迦様の遺言であるこの言葉は、深く重いものです。
 お経に出てくるお釈迦様の言葉を現代の言葉に直してみると、以下のようになります。
「修行僧たちよ、知るべきです。欲の多い人は、多くの利益を求めるために、苦しみもまた多いのです。一方、欲の少ない人は、求めることもなく欲することもないので、欲の多い人のような憂いはありません。修行者たちよ。もし多くの苦しみや悩みから脱したいと願うのなら、足ることを知りなさい。知足の教えを知ることは、富楽安穏(ふらくあんのん)の場所に住むことことなのです。」

人生を整える座禅の効用

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土曜日の夜と日曜日朝は道場にて座禅をしています。
私にとって道場で週末に座る座禅は、日常生活で心身に貯まった荒みを洗い流し、リセットした心身でまた月曜日からの仕事に元気に取り組める大切なものです。少し座禅について考えてみます。
座禅をするということは身体・呼吸・意識を整え、心の安定をはかる具体的な取り組みです。
背筋を伸ばした正しい姿勢を保ち、吐く息、吸う息に意識を向けていると、心は水面のように澄み渡ります。その澄み渡った心で物事をありのままにとらえる時、こだわりやとらわれを離れた真の自由が得られます。
座禅は2500年以上にわたり行われ続けたきた東洋の知恵の道です。心を静め、磨き、本当の自分と人生を見出すメソッドです。
体を整え、息を整え、心を整えます。
人が整うと外が整います。外が整うと人生が整います。

白隠禅師の健康法

Bodhidarma

白隠禅師は江戸中期に静岡に生まれ、我々の行っている臨済宗中興の祖といわれ、「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」とまで讃えられた高層です。その白隠禅師が体調を崩したときに立ち直った健康法が「軟酥(なんそ)の法」という内観法です。

軟酥(なんそ)の法(現代訳)
まず、色 美しく香り高い仙人の神薬を、種々練り混ぜて鴨の卵の大きさに丸めた丸薬が、頭の上に載せてあると想像する。その軟酥の卵は、香り絶妙にして、しばらく頭上に載せている間に次第に体温で溶けてやわらかくなり、少しづつ流れ始め、タラリタラリと下り始めると意識し始める。
その神薬の流れは、頭骸骨をも浸み抜けて脳髄の隅々まで潤おし、耳、目、鼻、口の内外を伝わり、浸々として首から両肩、両腕、両掌、十指のすべてまで流れ下り、両乳、両胸をしずかに潤おして流れ、肺、心臓、肝臓、胃、腸その他あらゆる内臓諸器官を浸し潤おして流れ、また背骨、肋骨、尾骨をも潤おし、オリーブオイルが浸みわたるように、全身に溶け込んで、ユルリユルリと下へ下へと流れ下ることをハッキリとイメージするのである。
このようにして、この霊妙な仙人の神薬は溶け下り、身体の全てを潤おし流れ、両股、両足を伝い、足の裏にまで流れ下って止むのである。
修行者は、何回もこの観法をなすがよい。
あの鴨の卵の大きさに固められた軟酥の妙薬が溶けて、浸々として、身体を潤おし流れるところの流れが、足元より溜まり、積もり湛たえて、腰まで及び、下半身を温め蒸すことは、ちょうど世の名医の特効秘薬をあつめて、湯で煎じ、桶の中にその煎湯を満々と満たして臍の下まで身体を浸し、温めるようなものである。
この「軟酥の法」を観ずるときは、三界は唯心の所現の法則に従い、鼻は妙香を嗅ぎ、身体はにわかに妙風につつまれ、身心に調和が甦り、精気が充満して、二、三十代よりも元気旺盛にして、壮気はなはだすぐれるものがあり、このとき、積年の苦悩、煩悶は融解消失し、胃腸内臓諸器官を調和させ、内分泌機能も旺盛になり、皮肌はツヤツヤと光沢を生じてくるのである。
もし秘法を怠らずつとめ修してゆくならば、どんな難病でもなおらぬということはないのである。また、いかなる高徳をも積むことができ、いかなる道をもおさめることができるのである。ただし、その効果のはやい、おそいは、その修行者の熱心さと、修する態度の真剣さよるものはもちろんである。

軟酥の法 原文
譬(たと)へば色香清浄の軟酥鴨卵(おうらん)の大さの如くなる者、頂上に頓在せんに、其気味微妙にして、遍(あまね)く頭顱(ずろ)の間にうるおし、浸々として潤下し来て、両肩及び双臂(そうひ)、両乳胸膈の間、肺肝腸胃、脊梁(せきりょう)臀(でん)骨(こつ)、次第に沾注(てんちゅう)し将(すなわ)ち去る。此時に当て胸中の五積(ごしゃく)六聚(ろくしゅう)、疝痾(せんあ)塊痛(かいつう)、心に随て降下すること、水の下につくが如く、歴々として、声あり。遍身を周流し、双脚を温潤し、足心に至て即ち止む。
行者再び応(ま)さに此(この)観(かん)を成すべし。彼の浸々として潤下する所の余流、積り湛へて暖め擴(ひたす)すこと、恰(あたか)も世の良医の種々妙香の薬物を集め、これを煎湯(せんとう)して浴盤(よくばん)の中に盛り湛へて、我が臍輪(さいりん)已下を漬け擴(ひた)すが如し。此観を成すとき、唯心(ゆいしん)所(しょ)現(げん)の故に、鼻根乍(たちま)ち希有の香気を聞き、身根俄(にわか)に妙好の瑶(なん)触(しょく)を受く。身心調適なること二三十歳の時には遥かに勝れり。此時に当て積聚(せきしゅう)を消融し、腸胃を調和し、覚へず肌(き)膚(ふ)光沢を生ず。若(もし)其(それ)勤(つとめ)て怠(おこた)らずんば、何れの病か治せざらむ、何れの徳かつまざらむ、何れの仙(せん)か成ぜざる、何れの道か成ぜざる。其功(こう)験の遅速は、行人の進修の精麁(せいそ)に依るらくのみ。 ・・・・

中岡慎太郎のことば①

「君子小人人にあり。家にあらず」
立派な人間になるか小さな人間になるかは、家柄ではなく、その人の心がけ次第であるということです。

 慎太郎は、180年前、高知県安芸郡北川村に生まれ、武市半平太の土佐勤皇党で志士活動を展開した後、脱藩して長州藩に亡命し、各地の志士たちの重要な連絡役となり、薩長同盟成立への大きな働きをした人物です。
 1867年11月15日、京都近江屋にて坂本龍馬とともに襲われ、重症を負い、亡くなるまでの二日間、襲われた様子を伝えたことでも有名です。
 幕末、30年足らずの人生を駆け抜けた中岡慎太郎。その写真を拝見すると、日本中が大きなうねりの中にある時代において、自己の命や家や藩にことに執着せず、日本の未来を考え、命がけで真剣に生きた者の、厳しくも若者らしい純粋で志あふれる面構えをしています。
 座禅では今を真剣に生ききる鍛練をしています。土佐が生んだ英雄の思いに負けないようにありたいものです。

餅つきは日本人のDNAが喜びます。

20151227餅つき

平成27年12月27日(日)
毎年の年末行事、恒例の餅つきを行いました。
早朝座禅終了後、7時前から準備を始め、8時過ぎからつきはじめました。
10年来ボランティアとして来ていただいている高知大付属特別支援学校の教員3名が中心となり、道場のメンバー4名と12時前までかかって14臼つきました。蒸す蒸籠や臼、杵の温まりが足ない最初はややしっとりこない餅でしたが、3回目以降からは、透明感のある、それこそ餅肌のきめ細かく、なめらかな餅が出来上がっていきました。
大詰めとなってきた師走ですが、例年より暖かな日差しの下、簡易オクドの上に乗せた蒸籠を蒸す煙の匂いや、餅をつく音が、日本人の、農耕民族として収穫したモチ米をつき、おいしい保存食とする喜びを感じる時間でした。
出来上がったお餅はお世話になっている方々に贈ったり、参加したもので実費配布したりしました。何といっても、つきたての餅の雑煮の味は格別でした。この餅つき行事を行うと、本年もいよいよ終了だと感じます。先週から庭や室内の掃除をし、しめ縄を玄関に飾り、本日の餅で鏡餅も作り、新年を迎える準備が整いました。
皆様、どうぞ、よい新年をお迎えください。

みかん狩り参禅会大収穫!

みかん刈り2

みかん狩り1

 代々伝わる愛媛のみかん農家、松下さん宅で世話になりながら、朝晩は座禅を行い、日中はみかんを収穫する「みかん狩り参禅会」が終了しました。ほとんど者が初体験のみかん狩りでしたが、天候に恵まれ、みなよく働き、3日間、7名で、3.7トンもの温州みかん(南柑20号)を収穫し、本会場提供者の松下さんご夫婦に大変喜ばれました。
 11月下旬というのに例年にない暖かさで、みかん狩り作業や座禅等が気持ちよく行えました。参加者の多くが住む高知市・南国市からは車で3時間かかる宇和島市吉田町(愛媛ミカン発祥の地)ですが、写真で分かるように、豊かな自然の中で爽快感を味わえる作業体験は心に残りました。

落ち葉掃除真っ盛り

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 温暖な高知ですが、11月に入り次第に朝晩冷え込み始めました。
 並行して、道場の木々の紅葉も始まっています。四国道場には多くの木々が植えられ、四季の移ろいを感じさせてくれています。植えられて40年を過ぎたものも多くあり、堂々と大地に根を張り、天に向かってそびえ立っています。
 この季節は道場の駐車場周囲等にある「ふう」の木の紅葉がみごとです。あと2週間ほどで、遠くからも燃えるように赤く染まった葉が確認できます。
 ほぼ毎週行っている作務(掃除などの作業)ですが、掃いても掃いても、落葉が完了するまで落ち葉かきは続きます。積もるのを待って一気に掃除したほうがよいように思いますが、毎回掃除することにより、道場の空気が澄んでいくよう感じます。野外での作業は心身にここちよい疲労ももたらしてくれます。一枚の落葉をはくことでその一枚分はきれいになります。

ありがとうございました「奥宮慥斎と西郷南洲」講演会

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慥斎の子孫の方(横浜市在住)が、講演前日に「奥宮慥斎と西郷隆盛の書」を高知市民図書館に寄贈し、高知新聞が大きく取り上げてくれたので、話題性が増した講演会となりました。当日は道場近隣の方々や地元史談会の方々、慥斎の子孫、ネットや新聞で知った方等、約30名の参加者があり、初めて道場を訪れてくれる方も多く、禅道場の存在や奥宮慥斎と人間禅との関わりを知ってもらうことができました。慥斎の血縁関係の方々は、地元の他、大阪や横浜から来てくださり、親交を深められました。たくさんのご参加ありがとうございました。